DIE KOKUBUNJI PHILHARMONIKER
 ■ 国分寺フィル演奏会演奏会記録(1996年〜2000年)第14回定期演奏会

モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136(125a)

1772年初頭に続けて3曲書かれたディベルティメントのひとつ。モーツァルトのこのシリーズにおいてこれら3曲の特色は、3楽章形式であること(他は4楽章以上の多楽章形式である)と極めて小さな編成(管楽器を含まない、弦楽四重奏または五重奏)を念頭に置いて作曲されているということ。おそらくごく内輪でのコンサートで演奏することを目的としたものなのだろう。自由気ままに野を駆ける風でありながら内に悲しみを秘めている、モーツァルトの作風が端的に現れているように思う。

現代においては、弦楽器を拡大して演奏されるのが一般的である。

ラヴェル:組曲「クープランの墓」

モーツァルトに通じる自由さ、それにフランスの粋(エスプリ)と独自のユーモアをふりかけたような作風をもつ作曲家、それがラヴェルである(と私は思ってます)。ラヴェルの名前を思い出せなくても「ボレロ」を知らぬ人はいないくらい「ボレロ」は有名になっていて、世界各地で演奏されている(プレイヤーにとってこれほどシンドイ曲もないが)。ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」の管弦楽編曲もこれまたチョー有名。

この「クープランの墓」は、ラヴェル自身が1914年から17年にかけて書いた同名の6曲から成るピアノ曲が原曲である。その中から4曲を選んで、1919年頃に管弦楽曲に編曲したもの。17世紀末から18世紀にかけて活躍したフランソワ・クープラン(1668-1733)の様式を借りて作られているのでこの名がある。日本では「墓」なんてストレートに訳されているのでチョッとおぞましいイメージがあるが、トンボー(Tombeau)とは17世紀フランスにおいて亡き人への思い出に、という意味で作品に付けられていたタイトル。ピアノ原曲では、第1次大戦で戦死した若き友人たちへの追悼の献辞がある。古風な舞曲のスタイルを持つ各曲は一見いきいきとしているようだが、どこか遠い昔を懐かしんでいるような、寂しげな感じもする。

なお、今年はラヴェルが没してから60年目にあたる。

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 作品19

東京近郊に星の数ほどあるアマチュア・オーケストラの演奏会予定を調べてみると、時々不思議なほど、というよりビックリするほどメインの曲がブッキングしていることがある。昨年(96年)はこのラフマニノフ交響曲第2番が都内各地で演奏されていた。偶然といったらそれまでだが、一昨年の某ドラマで第3楽章が使われて以後(実は20年余り前に歌詞を付けられてポピュラーソングのひとつになったというが私はよく知らないのです)、普段クラシック音楽に縁がない(持とうとしない?)一般のあいだにもアッという間に浸透。アマオケメンバーの演奏意欲にも火を付けたようだ。スピルバーグが絶賛したことから公開前から大きな話題となった映画「シャイン」の中でも主人公がラフマニノフのコンチェルトを弾くシーンがある。日本人ならずとも、ラフマニノフの哀愁を帯びたメロディにはやっぱり強く惹かれるものがあるんでしょうか。

さて、曲は1905年頃から滞在先のドレスデンで書き進められた。1893年に書いた「交響曲第1番」の初演が散々な失敗に終わり、それがもとで極度のノイローゼに陥ったラフマニノフ。創造行為を行う「芸術家」たちは、おそろしく繊細な神経と、卓抜した創造力を常にあやういバランスで保っているものである。そのバランスは身辺の様々な出来事や病気によっていとも簡単に崩れる。逆にそれがもとでさらに高い創造行為を行うこともあるが、いずれにせよ、彼らの「こころ」のなかは余人には到底解せるものではない。

高名な神経科医ダール博士の暗示療法によってなんとか創作意欲を取り戻したラフマニノフはかの名作「ピアノ協奏曲第2番」(1901)において濃厚なロマンチシズムを発揮、曲は好評をもって受け入れられた(これはダール博士に献げられた)。自信をつけた彼は続いて2つ目の交響曲に着手したのである。それでも「第1番」の事が彼の頭を離れなかったのだろうか…作曲の筆は遅れ、完成を見たのは1907年末だった。初演はよく1908年1月サンクトペテルブルクでジロティの指揮、続いてモスクワでラフマニノフ自身の指揮で行われ、成功を収めた。一部の批評家は第4楽章が充足に欠けると批判したが、多くの聴衆はその壮大なロマン的交響曲に酔いしれたのである。「交響曲第2番」はラフマニノフの代表作というばかりでなく、交響曲史上に残る傑作としてこれからも演奏され続け、伝えられていくことだろう。

全曲で1時間近くに及ぶ大作であるために、ラフマニノフの生前から一部をカットして演奏することを作曲者自身が認めねばならなかった。また、不要と思われる部分に打楽器による装飾音を付することも慣例になっていた。しかし、1973年にアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団がオリジナル通りの「完全全曲版」をレコード録音して以来、世界的にオリジナルに戻る傾向にある。ロシアなど一部では今も装飾音付きの演奏をやっているようだが。

解説:藤本 崇
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