DIE KOKUBUNJI PHILHARMONIKER
 ■ 国分寺フィル演奏会演奏会記録(1996年〜2000年)第17回定期演奏会

リスト 交響詩《前奏曲(レ・プレリュード)》

リストは19世紀当時、最大のヴイルトゥオーゾ(超絶技巧を持つ)・ピアニストとしてその名を欧州全土に轟かせていた。19世紀におけるヴィルトゥオーゾで有名なのはヴァイオリンのニコロ・パガニーニだ。超人的なテクニックを持っていたが、いざ本番になると深く沈潜し、上半身を激しく揺さぶりながら演奏するというその独特のスタイルから「悪魔に魂を売った」と揶揄された。

リストも、もしかすると悪魔に魅いられていたのかも知れない。非常に大きな手を持った人で、普通では考えられない幅の音階を片手でカヴァーできたと言う。彼が残したピアノ曲は、ほとんど彼自身のために書かれたようなもの。リスト以降、名ピアニストはあまた出現した。現代にあいても「リスト弾き」と呼ばれる人は多いが、作品を完全に弾きこなせる人は皆無と言ってよい。

リストは管弦楽のための作品を多く残しているが、その多くが「標題(Program)」を持っている。日本では訳語の発音が同じであるために混同されてきたが、「表題」の原語はタイトル(Title)である。「標題」、つまりプログラムは「説明書き」。そういえば演奏会で配られるこのような冊子も「プログラム」と呼ばれる。しかし、プログラムという英語は「番組、予定、計画」も意味する。演奏会の曲目もまた「プログラム」。ああっ、混乱する!!

彼は「標題音楽」という言葉の創始者であると言われる。「標題」とは、「作曲家によって作品に与えられた前書き。これにより聴衆に作品から間違った印象を受けるのを防ぎ、さらに作曲家が意図した詩的発想に近づくための手だて」である、とリストは説明している。リスト以降のロマン派の作曲家の間では標題を用いた作品が流行した。しかし、それ以前にも標題を付けた作品というのは存在した。例えばベートーヴェンの交響曲第6番「田園」(←※「田園」は作曲者自身によって付けられた表題タイトル)やベルリオ一ズの幻想交響曲がいずれも楽章ごとにも標題を付けているし、もっと時代を遡ればヴイヴァルディの有名な「四季」も作者不明のソネット(定型抒情詩)に忠実に音楽をつけた標題音楽である。「交響詩」(Symphonischedichtung=ドイツ語、英語ではSymphonic Poem)という言葉もリストが考案したもので、オーケストラによって「詩的且つ絵画的内容を表す音楽」とされる。リストより以前に歌曲の作曲家として知られるドイツのカール・レーヴェが「音詩」(Tondichtung=ドイツ語、英語ではTone Poem)という用語を使っていた。これは管弦楽を用いるという事で交響詩とほぼ同じ意味であるが、日本ではSymphonischedichtungもTondichtungも同義語として「交響詩」と訳されてきた。

この「前奏曲」はもともとは1845年に作曲した男声合唱のための「四元素」という曲の主題を用いた、オペラの序曲的性格を持った前奏曲だったもの。しかし合唱曲を出版出来なかったために前奏曲だけを独立した作品として扱うことにし、フランスの詩人、ラマルティーヌの「詩的瞑想録」から音楽に適した部分を採り上げ、音楽にも手を加えて発表したのであった。1854年2月28日、ヴァイマールにおいてである。

ラマルティーヌの詩は「我々の人生は、最初の一音から死への前奏曲にほかならない。愛の喜びは断ち切られ、傷ついた魂は田園での静かな生活に救いを求めるがそれも長くは続かず、自らを獲得する戦いに巻き込まれて行く…」といった大意。曲は大きく分けて4つの部分から成るが、休みなく演奏される。その第1部、低弦が死へと向かう人生の始まりを暗示する主題を、ホルンが愛を表す主題をそれぞれ提示し、それらが自由に変奏されて行く。第2部は「人生の嵐」。第3部が嵐の後の慰め、田園での静かな暮らし。最後の第4部は自らの運命に果敢に挑む行進曲風の楽想。一見輝かしく見える金管によるフアンファーレや炸裂する打楽器は、結局は死に抗するカを持たない人間のヤケクソのバカ騒ぎのようでもある。


マーラー 交響曲第4番卜長調

死は、誰にも必ずやってくるものである。生まれた瞬間から、人は死に向かって歩きだしているのだ。
それが人によって早いか、遅いか、違うだけである。それでも人は死を恐れる。生を受けた者の宿命であると理解していても、死ぬのが怖くないという人は少ないはずだ。
マーラーも年齢を経るごとに死の恐怖に怯えた。特に晩年には心蔵の疾患が判明し、同時に健康の衰えが目立ってきたために自身の死期が近いと感じ、先輩交響曲作曲家であるベートーヴェンやブルックナーが交響曲を9つ書いたあと亡くなっているので、「第9番」は作曲家にとってのジンクスだと思ったようである。書きかけていた9つめの交響曲を「第9番」とせず、「大地の歌」というタイトルを付けた。これは6楽章形式で、それぞれの楽章にはハンス・ベトゲ編著「中国の笛」からの詩がテキストとして使われ、テノールとアルトの独唱が加わるという風変わりな作品。その後改めて「第9番」に着手し、完成を見たが病状が悪化し、続いて書き始めていた「第10番」は第1楽章を残して未完のままマーラーは世を去った。奇しくも己の予感が当たってしまったのである。「大地の歌」、「第9番」とも生前に実際の音で聴く事は無かった。

ユダヤ人だったマーラーは「第4番」作曲前にウイーン宮廷歌劇場の指揮者ほ就任するためにウイーンへ移住する前にカトリックに帰依した。反ユダや主義の傾向が強かったウイーン楽壇に迎合するためだ、と陰口も叩かれたが、それ以前からマーラーはキリスト教の「死後の復活」に深い関心を示し、現世での人生の意義は死後の蘇生のためであるとした。そうした考えが端的にあらわれたのが指揮者ハンス・フォン・ビューローの葬儀に参列した際に聴いた、聖歌隊が歌った復活のコラールを最終楽章の合唱の基とした「交響曲第2番・復活」である。ちなみに生前のビューローはマーラーの音楽を認めていなかった。古典音楽を讃美し、「3大B」(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)という造語まで生み出した彼は、「復活」の第1楽章の元になった交響詩「葬礼」をマーラー自らがピアノで演奏し聴かせたところ、耳を塞いで露骨に拒絶したという。

マーラーは病気を極端に恐れた。不健康な体では健全な芸術活動が出来ないと考えていたのだ。それゆえ、自作に病的な楽想が入り込むのを嫌っていた。作品のなかでは生きているという事実、天国、そして復活の思想が優先される。しかし、矛盾するようだが、マーラーは人の宿命、つまり死を肯定していた。いかに音楽に「生」を織り込んでも、それは「生」を謳歌したり感謝したりというよりも、人の持つ宿命的なものの支配、その事に対する諦念へと向かう。先に述べた晩年の作品「大地の歌」の第1楽章で用いられた李太白の詩の「生は暗く、死もまた暗い」という部分が何度も反復して使われているが、これはマーラーの思想そのものを表している。「第4番」にも…後期の作品ほど露骨ではないにせよ…それは反映されている、と受け取る事が出来よう。

前置きが長くなり過ぎてしまった。閑話休題…。

本日演奏される「第4番」は、マーラーが青年時代から魅せられ、自作の歌曲のテキストにも用いて来たたドイツの古謡詩集「子供の不思議な角笛」に基づいた、いわゆる「角笛交響曲」シリーズ(「第1番二長調・巨人」から本作まで)の完結編に当たる。1899年夏にオーストリア西部シュタイルのアウス・アウスゼーに避暑のために滞在した時から書き始められた。翌年の夏に別荘を構えたウェルダー湖のほとり、マイエルニヒで全曲が完成し、1901年11月25日にミュンヘンにおいてマーラー自身の指揮で初演が行われた。しかし、交響曲としては異例の形を採ったこの作品は聴衆には理解されず、批評も散々だった。その後、何度か細部に改訂を施している。

4楽章から成り、一見ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンから続く伝統的な交響曲のように見せ掛けておきながら、序奏はいきなり明るい鈴の音とフルートで開始し、聴き手の意表を突く。その後コロコロと転調を重ね、次回作「第5番」の冒頭を予感させるトランペットによる葬送も挿入されたりする。
「友、ハインは奏す」と記された第2楽章では、コンサートマスターが通常のヴァイオリンのほかに、別に用意されたフイドル(中世に使われたヴァイオリンの前身)に似せた音に調律されたヴァイオリンで独奏を受け持つ。マーラーの言う「ハイン」とは死神の別名であり、この楽章はマーラーの「死の舞踏」(Totentanz)ともとれる。
「平安に満ちて」と記された第3楽章は、次の第4楽章に繋がる安らかな音楽。弦楽器を主体にした旋律が変奏され、訥々と流れて行く。時折り高揚するが、それは天国の歓びを我々聴き手に知らせるものである。そして楽章の終わり近く、管弦楽の総奏(トゥッティ)によって天国への輝かしい入口が聴き手の前に示される。そして荘厳な雰囲気を引きずったまま一旦静まり、第4楽章へと移行する。クラリネットなどの木管群に導かれたのどかな旋律が現れ、ソプラノ独唱を用いた「天上の生活」が歌われる。天国の生活を無邪気にうたい上げた後、静かに全曲を閉じる。歌詞の内容からボーイ・ソプラノに歌わせては、という意見もあるが、歌い手が無垢な気持ちで臨めばさほど問題にはならないと思われる。

解説:藤本 崇
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