DIE KOKUBUNJI PHILHARMONIKER
 ■ 国分寺フィル演奏会定期演奏会(2006年〜)第32回定期演奏会

アーロン・コープランド:市民のためのファンファーレ

この曲を作るきっかけはシンシナティ交響楽団の指揮者ユージン・グーセンスの依頼によるもので、初演は1943年でした。第二次世界大戦が始まり、愛国心を鼓舞するために依頼することを考えついたらしく、「兵士のための…」などという標題にして欲しかったらしいのですが、コープランドはそこまで露骨に出来なかったものと思います。

曲はパーカッションの炸裂で始まります、船出の合図かゴジラの足音か、まだ演奏会は始まったばかりで眠い人はいないでしょうが目が覚めることをお約束します。それに続いて響く金管楽器の音は美しく何かを期待させてくれます。きっと今日の演奏会の成功を予告しているのでしょう。

エドヴァルド・グリーグ:2つの悲しき旋律 作品34

グリーグは、1843年に生まれ1907年に亡くなりました。遺骨の一部は散骨されたとか、それを食べた魚はきっと音楽好きになったことでしょう。

残された作品は何となく暗い雰囲気のものが多いようですが性格は根暗ではなかったようです。愛妻家で子供っぽいところもあって、蛙や豚のぬいぐるみが好きで、子豚を抱いて寝ていたとか。ですからスヌーピーのぬいぐるみが欲しいお父さん、堂々とお買いなさい。

今日演奏する曲は、以前彼が作曲した歌曲を、自身で弦楽合奏のために編曲したものです。

弦楽合奏は多くの場合、楽器を5つのグループに分けますが、この曲はもっと細かく最大9つのグループに分けています。それだけ一つのグループの人数は減りますが不思議な響きになります。また、弦楽器は弓を弦でこすって音を出しますが、こする向きや場所によって微妙に音が変わります。グリーグはこのことを熟知していて、どうしても雰囲気を押さえておきたい所に弓を動かす向きの指示があります。

第1曲 胸の痛手
曲は大きく3つの部分からなり、最初と最後の部分は悲しげなメロディーがいろいろと形を変えて現れ、中間部分では八分音符の動きにメロディーが見え隠れします。そのメロディーから「胸の痛手」を感じ取っていただければ本望です。
第2曲 過ぎにし春
当初は単に「春」と名付けられましたが、後に詩の内容に合わせ「過ぎにし春」と改名されたそうです。元の曲は詩に合わせて4つの要素から出来ていますが、弦楽合奏版では2つのメロディーの要素を使って編曲されています。

アレクサンドル・ボロディン:交響曲第3番イ短調「未完成」

ボロディンは1833年に生まれ、1887年に亡くなりました。男は死して名を遺しといいます。化学に詳しい方はご存知かもしれませんが、ある化学反応に「ボロディン反応」という名前が付いています。スゴイ人だったんですね。ボロディン弦楽四重奏団は彼の音楽の功績を讃えて設立されました。ゲンガクシジュウソウダンをワープロで変換したら「減額始終相談」と出ました、どういう相談だろ?

彼は講義の準備、学会の活動や執筆活動で大変忙しい生活を送っていたようです。雑事を引き受けては目を白黒させていたとか、出来る人には仕事が集まってしまうんですね、今も昔も同じです。そのために作曲の活動は夏休みなど、学期と学期の間のわずかな休みにやることにせざるを得ませんでした。

そんな作曲活動の中、3番目の交響曲に関するアイディアを暖め始め、自信たっぷりに「グラズノフ君聴いとくれ」と何度もピアノで弾いたようです。この交響曲は4つの楽章を持つものとして構想が練られましたが、彼の筆跡で残っているのは第1楽章と第3楽章の断片だけだそうです。

グラズノフは、ボロディンの死の直後、オーケストラの楽譜を作りました。かなりグラズノフ的発想が盛り込まれているらしく、そんな意味からボロディンの作品としないとする考えもあります。しかし大元の発想は彼のものに違いなく、我々はボロディンの作品として演奏します。

第1楽章
この楽章はボロディンがピアノで弾いた曲を思い出しながらオーケストラ譜に編曲したものです、ものすごい記憶力の持ち主なんですね。
親しみやすい民謡のようなメロディをオーボエが奏でます。彼はどうやったら皆さんの心を打つか、日夜研鑚に励んでいるのです。
第2楽章
この楽章は、元々の着想時点では第3楽章に予定していたスケルツォを持ってきました。
ボロディンがこのために残したスケッチとすでに作曲済みの他の曲を組み合わせてオーケストラ譜にしたものです。
軽快な部分が始まりと終わりに配され、ゆったりとした3拍子の中間部が間に挟まっている構造です。
軽快に飛ばしている部分は主に5拍子なんですが、何回か瞬間的に2拍子が現れ、またすぐに5拍子に戻ります。時々戻りがモタモタすることがあったのですが最近はうまく出来るようになりました。

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」

彼は法律学校を卒業後、一度はお役所勤めをしました。大蔵省のエリート官僚だったらしいです。が、職業音楽家になるべく退職してその道を目指すことになります。

音楽を勉強した後、モスクワ音楽院の先生になったのですが、宮仕えが苦手だったのでしょう、こちらの方も退職してしまいます。

しかし、気ままで優雅な作曲家生活とは行かず、生活が成り立たない状況でした。そこで登場するのがメック夫人という富豪で、全然面識がないにもかかわらず長い年月にわたり援助をしました。彼女は「私が面倒見たのよ〜」なんて俗っぽいことは一切言いません、すばらしいパトロンですね。

初演の時、どうせわかっちゃもらえないんだろうなぁ、と思いつつ演奏し、思った通り拍手はパラパラ、でも本人は自信たっぷりという状況だったようです。その直後に本人が死んでしまい、意味深な「標題」を残したとあって評価ががらりと変わったらしく、再演時の評判は上々となりました。

第1楽章 Adagio(ゆるやかに)- Allegro non troppo(快活に、でも行き過ぎはダメよ)
低い音のメロディで正にゆるやかに始まります。続いてあまり行き過ぎない快活さに変わります。急に狂ったように勇ましくなりますが、長くは続かず「やっぱりだめだぁ〜」としぼんでしまいます。
さて、皆様ご存知の通り、曲の中で音の大きさを指示する記号にpやfがあります、うんと小さくという場合はppすなわちピアニシモとします。この楽章にはffffからppppppまであるんですね、それだけ音の大きさには気を使ってくれという作曲者の切なる願いだろうと思います。
第2楽章 Allegro con grazia(快活に、優雅に)
この楽章は5拍子で書かれています、ロシア民謡には5拍子のものが良くあるそうです。日本人は奇数拍子が苦手な民族という話を聞いたことがあります。快活に優雅にやるためにはイチ・ニィ・サン・シィ・ゴォなんて数えていたら全然音楽にならんのです、先ずは優雅な顔をして流れを作るのであります。第一楽章の時とは微妙に違う顔つきにご注目ください。
第3楽章 Allegro molto vivace(快活に、うんと速く)
普段おとなしい人が突然勇ましく活動するような感じです、周りの人はあまりの豹変ぶりにどうしたの?と心配します。この楽章では大太鼓とシンバルが力強さを後押ししています、シンバルが活躍するのはわずか4発、しかしキラッと光る稲妻のように大変印象的です。
大変な勢いで終わるので、あたかも曲が全部終わってしまったかのような錯覚に陥りますが、まだ先がありますよ。
第4楽章 Adagio lamentoso(ゆるやかに、悲しげに)
周りの人の心配は現実のものとなりました、あーダメだ、やっぱりダメだというため息が聞こえるようです。コントラバスが心臓の鼓動のような脈動を奏でます、静かでゆっくりした流れの中で、ひょっとするとドキドキするかも知れません。
曲は心臓の鼓動がいつの間にか止まってしまったように静かに本当に静かに終わります。
その静けさの向こうにある、チャイコフスキーが伝えたかった心を想像してみてください。
解説:林 範章
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